私のインプットシリーズ その1/『人間尾崎放哉』
私はブログにせよ、ホームページにせよ、SNSにせよ全て自身の創作物しかアップしていない。
クリエイターであることを自負しているのでそれは当然のことである。
しかし私は四六時中アウトプットばかりしているわけではない。
いや、最近指を負傷して引きこもっていることもあってアウトプットどころかインプット三昧の日々を送っている。たまには、最近こんな面白い事ありましたよ的な普通の記事も書いてもいいかな、ーと思ってこんなことを初めてみる。
私のインプット三昧のほとんどは読書である。という事で読み終えたばかりの本を紹介する。
『人間尾崎放哉』脱俗の詩境とその生涯 上田都史 潮文社刊
尾崎放哉という俳人をご存知であろうか。
名前を知らずともこの句はどこかで見覚えがあるのでは ・・・「咳をしても一人」・・。これが俳句?パンツである、いやパンクである。
しかしどうせこれ一句の一発屋でしょと思いきやさにあらず。
次「マッチの棒で耳かいて暮れる」だの「こんなによい月を一人で見て寝る」だの
「足のうら洗えば白くなる」
「爪切ったゆびが十本ある」
「淋しい寝る本がない」
「入れものが無い両手で受ける」と際限がない。
そして私は改めて問う。これが俳句?
とんでもなく貧乏でとてつもなく淋しい。極め付けがこれである「墓のうらに廻る」
・・・これには言葉も出ない。もう俳句でいいです、ごめんなさい。
この人のすごいところはこの句がナンチャッテでは無く、このままの人生を送らざるをえなかった事だ。かといって悲惨だったというわけではなさそうだ。常人には理解できぬレベルで満足していたのではと思わせる節がある。最後にそれを彷彿とさせる一句で締めたい。
「花火があがる空の方が町だよ」